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神戸学院大学人文学部人間文化学科2005年特別講義I編


by shohyo

妖怪と怨霊の日本史

妖怪と怨霊の日本史_d0068008_1319445.jpg日本の歴史は「妖怪」や「怨霊」の存在を抜きには語れない。『古事記』に記されているイザナキノミコト、イザナミノミコトが登場する有名な神話では、黄泉国での醜い姿をイザナキに見られたイザナミが、「よくも恥をかかせてくれましたね」と怒る。そして醜悪な妻の姿に驚き、黄泉国から逃げるイザナキをヨモツシコメ、更には八種の雷神たちに追わせている。このイザナキを追いかけてきたものたちこそが文字で書き記された日本で最初の「妖怪」的存在のものである。
また、「怨霊」と言えば菅原道真、北野天神である。大宰府に左遷され、無念の気持ちを抱きつつ死んだ道真は、怨霊となりかつての宿敵やその縁者の命を奪っていく。その後北野天神社が造営され、学問の神となり、民間でも絶大な信仰を集めている。
 このように例を挙げているときりがないほど多くの妖怪や怨霊が日本史の中には隠れている。本書には様々な説話集などから、非常に興味深い内容の話が記されてあり、参考文献の多さからも著者の強い探究心がうかがえる。
 日本の歴史の中には現代の科学をもっても立証できないような、「なにか」が多く存在し、それは決して軽んじられたりはしていない。その「なにか」とはつまり、妖怪、呪詛、怨霊などの、なんとなくは分かってはいるが、形としては理解しがたいものである。陰陽師が流行った時期があったが、この陰陽道というものもこの類のものだと言えるだろう。中学や高校で使用される日本史の教科書にはもちろん歴史上の表立った事実しか記されていない。しかし、日本では古くからこの不確実で曖昧な「なにか」が重要視されていた。これは現在も各地に残る祭祀などからもうかがい知ることができるだろう。そのことを考えれば、日本史における「妖怪」「怨霊」の存在を知ることも必要なのではないだろうか。
 「妖怪」と言う言葉から水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』を連想する人は少なくないだろう。このように現在でも少し滑稽なイメージはあるが、形は変化しつつも妖怪の文化は日本に存在している。
 本書は「妖怪」「怨霊」という歴史上の新たな役者を加えて、改めて日本史というもの、特に天皇家を中心とした権力闘争についての再発見ができる一冊である。


文:BrownBunny
by shohyo | 2005-07-02 13:19