神戸学院大学人文学部人間文化学科2005年特別講義I編


by shohyo

テレビの嘘を見破る

d0068008_1585531.gif1993年、NHKのドキュメンタリー番組「奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン」に多くのやらせがあったと報じられ、多くの議論が起こった。しかし著者は数ヶ月で消えたやらせについての議論では、制作者と視聴者の溝が埋まってないのに気付きこの本を書いた。
最初に作り手の工夫としていくつかの例をあげた。「なぜ幻の魚は旅の最終日に釣れるのか」(本文p.30)という例では本当は取材の初日に幻の魚は釣りあげられていたが、視聴者をハラハラドキドキさせるため最終日に釣れたという構成にしている番組もあるという。しかし視聴者はそれを見破れない。また、ハラハラドキドキしたいという視聴者の期待が制作者にそういう演出をさせる、いわば視聴者と製作者は共犯関係になって作っているのである。視聴者も制作者も損をしないので共犯関係は成り立つ。
 ドキュメンタリーに欠かせない再現というものがある。「すでに起きてしまった事実を、あとで再現してそれを撮影し映像化する、ということ」(本文p.56 2~3行目)と説明している。再現は事実とは違う。けれども物事に現実味を出すためにすることだとある。ドキュメンタリーを作るための演出の一つとしてテレビ業界では普通に使っている。
 NHKのドキュメンタリー「奥ヒラマヤ 禁断の王国・ムスタン」が新聞によってやらせだと報道された。しかしテレビ番組を作っている人からするとやらせとされた部分は、いつも工夫としていることが多かった。しかし著者は誇張や歪曲、虚偽もあることを指摘している。ここに新聞というメディアとテレビという映像メディアの考え方の違いが浮き彫りになっている。しかし新聞メディアは視聴者の立場で記事を書いているので対決の構図は視聴者と制作者ということにもなる。
 テレビは娯楽でもあり、メディアでもある。最近は情報化社会といわれていて、事実という情報が透明性を持つよう求められている。この本の著者はテレビ番組の制作者として、まだ透明性を完全にすることは難しいとしている。しかし、この本を書いたことでどのようにテレビ番組を作っているかを明かし、視聴者に意見を求めているところは書いた意味がある。けれども、まだテレビ番組は事実を伝えるために色々な演出をしている。この中で視聴者が作り方を知り、その情報をどう受け取っていくかが重要だと知るのに有効な本である。

文:kazunoko
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by shohyo | 2005-07-03 01:59