神戸学院大学人文学部人間文化学科2005年特別講義I編


by shohyo

戦争と美術            岩波新書

 「戦争と美術」この本の主な舞台は大東亜戦争時代にまで遡る。
美術というものは数多く存在し、それと相当の美術家も数多く存在した。この本は大東亜戦争当時の画家を焦点にした話であり、果たして国の命令で描かれた戦争画という物は美術品に相当するのか、当時の時代背景を考えながら話は進んでいく。
当時は白米を食べるだけでも「おいしい!」と決して大きな声で叫んではだめで窓という窓を閉め切って食べたという。なぜなら、食べ物もろくに手に入らない時に白いご飯を食べようものならすぐさま「非国民」とされるからであった。隣組という制度も作られ、これは隣同士なかよくせよというものであったが、結局の所は戦争批判をなくすための相互監視であり、この時代に言論の自由などはなく反戦思想などはもってのほかであった。
 こうした時代背景に画家たちは自由な表現で絵画を描くことはできず、戦争の悲惨さを絵画として描こうものならそれは非国民とされすぐに捕まってしまい、描きたいものがかけない時代であり、そのかわりに国から「戦争画」つまりは日本の勇敢さや戦争の理解を求める絵画を
国から描くようにいわれ、それが画家の務めとされていた。
 このような中で書かれた戦争画というものは美術品としての価値があるか、そのようなことを著者が綴っていく中で、当時の戦争画の一部には画家のメッセージが残っていることがわかっていく。
 この著書を読んでいくうちに著者の考えがその流れとともに色々かわり色々と考えているので読者の側からすれば少々理解のしにくい内容ではあるが、戦争画をとりあげたこの著書は当時の時代背景の中で画家たちは国民らから異質の目でみられ、戦争という抑圧のなかで必死に見えない抵抗し激動の時代を駆け巡る様がよく記されていていた。
 著者は戦争の正当性だけを映し出そうとする戦争画に疑問を持ち同じく疑問を持ちつつもそれを表にだしていった画家に尊敬の念を抱き世の中のおかしさ、美術家とはどうであっていたいものかなどが綴られており著者の気持ちを読み取ることができた。

文:matsu
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by shohyo | 2005-07-02 13:38