神戸学院大学人文学部人間文化学科2005年特別講義I編


by shohyo

ヌード写真           岩波新書

 本を開いて初めに目に入ってきたものは女性の裸体を白黒写真で写した、まさしく「ヌード写真」であった。その体は適度に筋肉がついて締まっており、すらっと伸びた美しいモデルの身体だ。しかし「ヌード写真」というものの捉え方は人によっても違う。一枚の写真だけを見た場合、芸術性を感じるものあれば男性の欲望を刺激する卑猥したり(もちろん女性を刺激する男性の写真もある)、見て不快感を覚えたりということもあるだろう。今日では様々なヌード写真を目にする機会も手段も多く、見るたびに人は様々な感情を持つことになるのだが、ヌード写真と呼ばれるものに我々は大小の差はあったとしても過剰な反応をすることが多くないだろうか。しかし本中に「過剰こそわれわれ現代社会の根元をなす力の現象形態である」とある。そう、ヌード写真における人々の反応には現代社会における人間性、社会性が現れているのだ。この本はヌード写真が作ってきた歴史から、現代社会そのものの性質を示唆している。
 途中、「無性化する性」という章がある。ヌード写真により、人が性的な欲求を持つことがむしろ自然であり、それに刺激されない方が少数派であるとなっている、と。この部分には大変納得したのだが、その後に続く文は少々納得出来なかった。それが簡単にまとめると、「ある種のヌード写真にはこういった性的刺激を打ち消そうとする芸術的な意図を目的としたものがある」ということになる。なるほど、作者の言いたいことは分かる。実際この本の所々に紹介されている写真を見ると綺麗だと思う。しかし一方でそれに強い反発を覚えてしまう。ぱっと見ると性的な刺激は確かに無いのだが、そういった刺激を無くそうと美しく撮られたものに、余計にエロティシズムを感じてしまう。その理由を考えた結果、一つの結論に辿り着くことが出来た。それは少々下世話な話になってしまうが、隠そうと、もしくは無くそうとすると、さらに自らの想像力を働かせて刺激的なものに転換してしまう。いわゆる「丸見えよりギリギリのほうが刺激的」というものに近いと考えている。
このように、自らの意思、無意識に関係なく転換し想像してしまうおかげで、芸術的な美しいはずのヌード写真にエロティシズムを感じてしまうのである。こういった考えをする人間が少数派であろうとも、無意識に転換してしまうことで芸術的なものであるはずのヌード写真に芸術性を感じることは自分の性分からいってこれからもありえないだろう。この本で唯一「芸術的なヌード写真」に反発を覚えたことだけを、少々残念に思う。

文:青ノリ
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by shohyo | 2005-07-02 13:36