神戸学院大学人文学部人間文化学科2005年特別講義I編


by shohyo

模倣される日本

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日本のアニメは世界でもトップレベルの技術を持っている。かつて経済大国とよばれた日本は、現在、文化の面において欧米から模倣されている。特にアニメの力が大きく、ポケモンやドラゴンボールはアメリカの子供の間で大流行した。映画でいえば、海外でのリメークが多い黒澤明監督の作品がその代表である。生活様式の面でも、アメリカではヘルシーな日本料理のレストラン(スシ・レストランなど)の数が増加している。
このように模倣されている日本だが、作者が「第一の模倣が中国で、第二の模倣がヨーロッパで、第三の模倣がアメリカだった。」、「日本が受け入れた一神教があるとすれば、それは科学技術である。」と述べているように、昔から科学技術の遅れを理由に他国を模倣してきた。模倣自体は悪いことではない。問題は、日本が日本、アジアの一員であることをやめようとしたことだ。これは福沢諭吉の脱亜論からうかがえるし、現在の中国や韓国の反日感情に結びつく。
今、私たちの周りは便利なもので溢れ、生きていく上で必要なものはすぐ手に入る。その代償となったのは自然や日用品、振る舞いなど、日常生活にうめこまれた「美」である。「美」は美術館や博物館、ブランド品で身を固めることに求めるものではない。
「われわれは小さな頃から何度も繰り返し、日本は資源のないちいさな島国だと教わってきた。それが資源とは物的資源のことだという、偏った観念を植え付け、洗脳してしまった。しかし日本は文化資源の豊かな国であった。」この本の最後にある言葉だ。この指摘は高校までの授業で「日本は資源のない国だ」と思っていた私に衝撃を与えた。日本は、自然という完全なシステムの中で何不自由ない生活をしていた筈だ。完全なシステムを科学に求め、発展してしまった「現実」は「過去」には戻せない。だが、これ以上、日本が日本で無くなることは防ぎたい。また、「過去をそっくり忘れ去るような国民に大きな未来は開けそうにない。」とあるように過去を忘れることなく、日本がこれから模倣するのが、科学技術が導入される前の日本であることを願う。
この新書はモノが溢れている現代の日本を懸念していた私に様々な角度から答えのヒントとなるものを与えてくれる、読み応えのある一冊であった。模倣されている日本の現状を話題となっている作品を並べて描き、その理由を述べ、そこから日本が失ってしまったものに気付かせ、これからの日本の在るべき姿を考えさせるまでに結び付けていくという文章の流れは見事だ。

文:ぴけ
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by shohyo | 2005-06-23 14:25