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神戸学院大学人文学部人間文化学科2005年特別講義I編


by shohyo

バカの壁

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バカの壁が理解不能の原因
現代は、価値観は多様化し、知識は細分化、専門化されている。生活様式もバリエーションが豊かになっている。その結果、共通理解の土台となるものがどんどん小さくなっている。人と人とがわかりあうことが難しくなっている現代。このわかりあえない世界の最大の原因を「バカの壁」とし、それを乗り越えるにはどうしたらよいかを語るのがこの本である。
y = ax というモデル
 この本は、いわゆる昨年のベストセラーで、爆発的に売れた本である。言っていることは、それほど画期的とも言えないが、おそらくは、タイトルがあまりにも良くできていて、売れに売れたということだろう。内容としては、たとえば、「脳に与えられる刺激x に対して、脳が何らかの演算a をほどこしてy が出力される。アメリカが何を言っても(どんなx を与えても)、イスラム原理主義者から見れば、a = 0 なので、y = 0 である。話し合えば、わかりあえるというのはうそで、a = 0 であれば、何を言っても出力はゼロである。」ということになる。しかし、筆者が、一連のテロに関してアメリカの言い分を正しいとしているかといえばそうではなく、「9.11のテロにおいて犯人の側に人生の意味というものが強烈に感じられるのに対して、アメリカの側にはそう言うものが感じられない」とも言っている。この本の中身は、脳の機能以外にも、教育論などを含めて、ほぼ100%同意できるものであった。社会がどんどん効率的になっていくことについても、筆者は警鐘を鳴らしており、ここも同感だ。なお筆者によれば、a は好きな相手に言われるか、嫌いな相手に言われるか、無関心な内容かによって、いかようにも変わる定数とされているが、より美しい理論体系とするためには、a はx に依存しない形が望ましい。そこで、話の内容はいくつかの成分を持つベクトル量X ということにして、脳の機能は、それぞれの脳によって一意に決まる行列Aであらわされ、Y = AX とモデル化した方がよいだろう(単に元の理論を大文字にしただけだが、線形代数を学んだことのある人にとっては、このように置きなおすことによって、この理論が空間的広がりを飛躍的に持つことになったのだ。)
著者は冒頭でバカの壁を次の一元方程式で説明する。
y=ax
説明を引用すると「では、五感から入力して運動系から出力する間、脳は何をしているか。入力された情報を脳の中で動かしているわけです。何らかの入力情報xに、脳の中でaという係数をかけて出てきた結果、反応がyというモデルです。」問題は係数aであるが、これはその人間が感じている「現実の重み」と説明される。男子学生に出産のビデオを見せても反応がなく、女子学生は同じビデオからたくさんの発見をしたという実験の話を著者はここで引き合いにだす。つまり、男子学生にとってaは限りなくゼロに近かったので出力もゼロだった。女子学生はaが高かったので、出力も大きかったというわけだ。このaという係数が限りなくゼロに近い状態が一般化したことこそ、現代のコミュニケーション不全の原因なのだと著者は言う。人間はわかっていること、わかりたいことしかわからない。そこには、a=0というバカの壁があるからだというのがこの本のテーマだ。
前半はいい。後半は駄作の極み
前半はいい。脳科学をわかりやすく噛み砕いて、一般に伝えてきた著者が、その語りかけの能力の真骨頂を発揮している感がある。著者の出発点となった「唯脳論」以降、ずっと語ってきた脳、無意識、身体性、哲学といったテーマをメスにして、現代のコミュニケーション不全を解剖していく。一般向け新書ということもあり、科学的なディティールは大胆に省きながらも、数多くのこころと脳の研究の知識を披露しながら、「理解」をめぐる著者の力強い主張が明白に展開されていく。
一元論的にしか物事を考えない現代の風潮の危険さ、そうした人間の理解の論理的根拠の希薄さを批判する部分は多くの読者が共感したはずである。ここまでは良かった。  
だが、後半からテーマが、根拠のない著者の単なるぼやきへ置き換えられていき、急につまらなくなる。個人的には、「二、三歩譲ってあの養老孟司の言うことだから許せる」というレベルを超えてしまっており、「後半は駄作である」と言い切れる。口述筆記で構成したこの本、語っていくうちに、いつのまにか、著者自身が自らのバカの壁にとらわれてしまったのではなかろうか。
一元論著者の教える学生が授業を聞かないことや、考えが浅いこと、我慢が足りない子どもたちが増えたこと、ホームレスが増えたこと、次々にバカの壁のせいだと嘆いて見せるが、果たして、それらの問題はバカの壁の問題であろうか?
著者は、「人間だからこうだろう」という常識がバカの壁を突破する答えであると考えているようだが、おかしいと思う。つまり、著者の提示した一次方程式を、その答えに合うように書き換えると、bを常識とおいて、
y=ax+b ということになるだろうか。
現代においてaxがゼロもしくは無限小であると著者は繰り返し述べているわけだから、事実上、この方程式はy=bということになる。それこそ著者が批判してきた一元論そのものである。
日常の思い込みや宗教といったバイアスであるaではなく、「殴られれば痛い」だとか、「親切にされれば嬉しい」だとか、人間が共通に持つ、生物学的に共有する感性をb=「常識」としようと著者は言う。他の識者が語るなら、心地よく受け入れやすい話ではある。
だが、そもそも長年に渡ってその共通の常識の怪しさを、身体性だとか無意識というテーマで解体してきたのが養老孟司という人だったのではないのか。この期に及んで、自身のジェネレーションギャップのぼやきを正当化するために方程式を持ち出して、本にする気持ちが私にはよく分からない。
私が読んできた養老孟司は科学者で哲学者でもっと慎重な語りをする、聡明な人だった。なぜこの本を今書いたのだろう?わからない。それとも、バカの壁にさえぎられているのは私の方なのだろうか?

文:サオリ
by shohyo | 2005-06-23 14:08